語りたいだけ。中身なし 

他の人の目に映る場所で語りたいから語る。
帰り際とかに路上でライブやってるようなもん

思ったんだけど、日記とかで独り言ぐちぐち言って気が休まるワケなくない? 
人間性大人過ぎでしょ。僧侶やないかもはや
誰も居ないのに帰った時、ただいま言うようなもんやん。それ儀式やで 


一人カラオケは解るんだけど、グループで行くカラオケって正直意味わかんないんだよね。
色々グループの為に気を遣ってまでは辛うじて解るんだけど、歌ってない時間とか凄く暇じゃん。

それに対してスマホ突くなだとか〜
歌をハモらせず黙って聴いとけ〜だとか
もうそれ接待キャバやん。
頭空っぽにしてバカやるのが楽しいと思うんだけど。

どれぐらいの仲の人間にそれを求めるんだろうな
表面上の友達レベルなのか、マジもんの親友なのかは解らんが…まあ親友レベルなら空気読んでもいいけど、黙って聴くの死ぬほどつまんないでしょ。

やっぱりグループカラオケの強みが全く理解出来ない。
仮に会社の同僚とかのグループカラオケで
お互いに空気読み合うとかならまだしも、学生の付き合いみたいな表面上のクレープ並みに安っぽい出来立てフワフワな関係値で接待キャバ…
じゃなかった。接待カラやってるような楊キャ達や、合コンでカラオケするような人達の気がしれない。怖すぎる。おわかりいただけただろうか?

蟹の殻外しとか、焼き魚の骨抜きだとか、手羽先の骨を退けて食べるみたいな、あからさまに
めんどくさい肯定を経て、ようやく手に入る快楽のような めんどくささがある。

確かにグループや誰かとのカラオケは楽しいだろう。手羽先の肉は美味いだろう。

だが、数値化してみれば、美味しさ楽しさ100なのに対して めんどくささ999999999ぐらいなのである。
独りでパソコンのモニターと睨めっこしている私のようなモグラには、到底及ばないものなのだろう。

以上、カラオケの話。




私はサントリーニが好きだ。行ったことはないが
行きたい。ウユニ塩湖や早朝の窓から見た景色等
引きこもって、グループカラオケに永遠と愚痴る癖に打って変わって対照的…多分 な憧れである

私は、いつも何かに怒ったり、気に入らないものだらけで 常に悪いことばかりが目に付くので、大体なんでも嫌いなのだ。
そんな私が、気に入っているのが、その曹爽しい景色である。
不満不安不快。私が目を開けるたびに映るそれらを押し除けるように、性格が悪いのに身体がナイスだから全部誤魔化せるみたいに

ウユニ塩湖やサントリーニ、早朝の窓からの景色
それが私は憧れている。
家の2階には、風呂場があり、風呂の器は小さいが、部屋がそれなりにスペースがあり、床も天井も白く、白い壁が高く設置されて ドラマのシーンのように、優雅に風呂に浸かるのだ。
これを想像するだけで幸せの残り滓を舐め回している気分になる。

私という人間は、いつも怒りや不満、ストレス
葛藤と悩みの多い人間である。
親友や恋人を所有物としてでしか捉えることの出来ない共感性が欠如したソシオパスであり
関係性を破壊することで、自分好みの関係をつく直そうとしたり、気に入らないモノは視界にも
入れようとしないという 傲慢さと支配欲に塗れ
て、さらに人を赦すことの出来ない感情的な部分も相まって、いつも平穏から遠く 争いゴトが
私に相応しく、人間社会に似合わない生き物なのである。

怒りで感情を優先し、何もかもを壊し回る喧騒のような在り方だった私は、いつも何かに憂い荒み
憤っていた。

そんな私が憧れたモノ。
それが爽やかさだった。
ビーチや 青い海 夏の空気感。
全てしがらみなく、あるがままを受け入れるその
自由さに、私は心をいつも震わせていた。

ゲームにも没頭しており、自分の心も画面の中の自分も、いつも争い事だらけ。
気に食わないか 鬱積を晴らすかその二択。

いつか行ってみたい。何もかもから解き放されて
自分を赦せる人間になれるときっと物語が楽に片付く。これを祈りながら、ためには夢で見たいと思う。